迷走その1 十二指腸潰瘍から始まる

山ウド。茎はきんぴらに、葉の部分は天ぷらにしていただきました。

母親から東京に住んでいる私に電話があったのは、昭和から平成になってすぐくらいではなかったかと記憶しています。春でした。「お父さんが、がんになった」と聞いた時に、胃がぎゅーっと縮んだような感じがあり、その後、ずっと胃痛が続きました。十二指腸潰瘍だと診断されました。

 

「父の看病をするため」という理由で、私は会社を退職し、故郷の新潟に戻りました。いろんな偶然が重なり、地元雑誌の編集とライターをすることになりました。ある取材で薬剤師の資格を持つ漢方医が、かつて大学時代に「実験でラットにストレスを与えると、みるみるうちに体内に腫瘍ができるのを見たことがある」と話すのを聞いて、私も母からの電話の時にそうだったのかもしれないと思いました。十二指腸潰瘍は服薬でいったん治まるのですが、その後何年も、春になると再発しました。

 

父のがんは、見つかった時点ですでに、余命宣告をされた状況でした。私が故郷に戻ったのは、今まで育ててくれた父に、何でもいいから恩返しをしたいという気持ちでした。それは「親孝行」でもなんでもなく、父の死後に後悔したくないというエゴイズムです。

 

納得して故郷に戻ったはずでした。それなのに、私はずっと「都落ちした」と、惨めな気持ちを引きずり続けました。当時住んでいたマンションは駅から近く、新幹線の線路が見えました。新幹線の走るさまを見て、その音を聞く度に、惨めさで涙がこぼれました。

 

たまに遊びに行く東京で、かつての同僚や大学時代の同期が、生き生きと働いているのがうらやましくてならなかった。都会生活を謳歌している彼らが眩しくて、どんどん取り残されていくようで、自分が情けなかった。日本映画のクレジットでかつての上司や友人・知人の名前を見つけると、自分がもう全く関係ない場所にきてしまったのだと、本当に落ち込みました。私は次第に日本映画を観なくなりました。

 

仏頂面で、不満いっぱいのまま看病をする娘に、父がどれほど傷ついたか。今でも思い返すたびに、申し訳ない思いで胸が痛くなります。父が「ちえこは、新潟が嫌いなんだな」と言っていたと、父の死後に母から聞きました。

 

父は60歳を迎える年の元日に、意識がはっきりしている時に願っていたように、私たち家族全員に「ありがとう」と言って旅立ちました。結局私は、恩返しどころか、何一つできなかった。「お父さん、ごめんなさい」しか、今も言えません。

 

身近な、大切な人間を亡くすという経験から学んだことは、たくさんあります。がん=死というイメージが、どれほど患者と家族を脅かすかということを、身をもって知りました。私が心理学を学ぶスタートに、がん患者とその家族、サポーターに向けての心理療法を選んだのは、この経験に導かれたところもあったのかもしれません。

 

当時の自分、現状に不満を抱え、焦り、苛立ち、絶望している自暴自棄の状態の根源がどこにあるのか、今は検討がつきます。しかしそれは、父の亡くなった年齢に近くなった現在だからこそ、10年近く「人の心」について学んでやっとおぼろげに分かったものです。私は自分の愚かさを実感しています。愚かさに気付くための学びだったと言えます。

 

父の死後は、すぐに東京に戻るはずだったのに、私は戻りませんでした。私の迷走はまだまだ続きます。